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315年前に作られた龍の鬼瓦です。

2025/02/10(月)カテゴリ:古い瓦には年月日・名前などの記名があります

315年前に作られた龍の鬼瓦です。

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京都府亀岡市 大園寺(だいえんじ)本堂の南東側の隅鬼瓦です。大園寺は、亀山城(現在の亀岡城)の城主であった明智光秀が城下町の形成に際して、穴太道(あなおみち)の要衝となる現在の地に移しました。亀山城主小早川秀秋が文禄四年(1595)に米二石を寄進した五箇寺の一つでもあります。本堂は二度の火災にあい、宝永七年(1710)に再建されています。

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右側面に、「寶永(ほうえい)七(1710)庚寅(かのえとら)年 正月下旬」と書かれています。寶永七年は江戸幕府、第六代将軍徳川家宣の時代です。庚寅(かのえとら)は十干十二支(じっかんじゅうにし)の一つで、60年に一度回ってきます。十干十二支は、十干(10種類)と十二支(12種類)の組み合わせでできています。十干(じっかん)は、甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)の10種です。十二支(じゅうにし)は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類の干支(えと)です。昔は右斜め上側に十干Z(じっかん)、左斜め下に十二支(じゅうにし)を書きました。

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左側面に、「瓦工(かわらこう)九兵衛(きゅうべえ・くへえ)」 と書かれています。「九兵衛」は花野九兵衛で、現在の京都市右京区下嵯峨高田村で江戸時代に瓦を製造していました。

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341年前に作られた龍の鬼瓦です。

2024/12/30(月)カテゴリ:古い瓦には年月日・名前などの記名があります

341年前に作られた龍の鬼瓦です。

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京都市上京区 立本寺(りゅうほんじ)祖師堂(そしどう)の下層(かそう)の南東側の隅鬼瓦です。

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右側面に、「天和(てんな・てんわ)四(1684)甲子(きのえね)年 正月下旬」と書かれています。天和四年は江戸幕府、徳川綱吉の将軍の時代です。甲子(きのえね)は十干十二支(じっかんじゅうにし)の一つで、60年に一度回ってきます。十干十二支は、十干(10種類)と十二支(12種類)の組み合わせでできています。十干(じっかん)は、甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)の10種です。十二支(じゅうにし)は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類の干支(えと)です。甲子園球場は甲子(きのえね)の年にできたので、甲子園と名付けられました。昔は右斜め上側に十干(じっかん)、左斜め下に十二支(じゅうにし)を書きました。

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左側面に、「深草 新右衛門 作」 と書かれています。現在の京都市伏見区深草の瓦の窯元で、作られています。

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285年前の鬼面鬼瓦です。

2024/11/29(金)カテゴリ:古い瓦には年月日・名前などの記名があります

285年前の鬼面鬼瓦です。

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滋賀県大津市長等にある傳光院(でんこういん)本堂の北東の隅鬼瓦です。

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右側面に、「元文(げんぶん)五(1740)庚申(かのえさる)年 五月吉日」と書かれています。元文五年は江戸幕府、第八代将軍徳川吉宗の時代です。庚申(かのえさる)は十干十二支(じっかんじゅうにし)の一つで、60年に一度回ってきます。十干十二支は、十干(10種類)と十二支(12種類)の組み合わせでできています。十干(じっかん)は、甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)の10種です。十二支(じゅうにし)は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類の干支(えと)です。昔は先に十干(じっかん)、後に十二支(じゅうにし)を書きました。

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左側面に、「江州志賀郡松本村住瓦師 藤原氏井上七左衛門 重信 作」と書かれています。井上七左衛門(いのうえ しちざえもん)は松本村(現在の滋賀県大津市松本)の瓦師で、江戸時代(1688年記名の鬼瓦があります)から明治時代(明治19年3月廃業)まで七代にわたって瓦を製造されています。重信は井上七左衛門二代目です。井上七左衛門名の鬼瓦は、京都市山科区の寺院の本堂でも見たことがあります。松本村の瓦製造は、長崎オランダ商館の医師のシーボルトが文政九年(1826)に江戸参府の帰途に大津を訪れ、見学して製造工程の詳細な記録を残しています。

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京都市右京区の古民家の蔵の鬼瓦です。

2021/09/05(日)カテゴリ:古い瓦には年月日・名前などの記名があります

京都市右京区の古民家の蔵の鬼瓦です。

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京都市中京区の古民家に置いてある打ち出の小槌の鬼瓦です。

2021/08/29(日)カテゴリ:古い瓦には年月日・名前などの記名があります

京都市中京区の古民家に置いてある打ち出の小槌の鬼瓦です。

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立本寺方丈の鬼瓦

2021/08/08(日)カテゴリ:古い瓦には年月日・名前などの記名があります

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京都市上京区の七本松通り仁和寺街道上がるに位置する立本寺方丈の鬼瓦には、『天和(てんな・てんわ)四年甲子(きのえね)正月下旬』と書かれています。

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立本寺は日蓮宗の京都にある八つの本山の一つです。

天和四年(1684)といいますと今から343年前で、江戸時代将軍は徳川綱吉将軍です。

今回の修復工事では鬼瓦だけ古いものを再使用しましたが、まだこれから300年以上は大丈夫だと思われます。

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左側が口の閉じた『吽(うん)』の鬼瓦、右側が口を開けた『阿(あ)』の鬼瓦です。

甲子(きのえね)は十干十二支(じっかんじゅうにし)の干支(えと)の組み合わせの中で1番目です。

一月の下旬につくられています。

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福井県高浜市の古民家の塀の、宝珠飾り瓦の書き込みです。

2021/05/21(金)カテゴリ:古い瓦には年月日・名前などの記名があります

福井県高浜市の古民家の塀の、宝珠飾り瓦の書き込みです。

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京都市右京区嵯峨 徳林寺庫裡の鬼瓦の記名です。

2021/05/08(土)カテゴリ:古い瓦には年月日・名前などの記名があります

京都市右京区嵯峨 徳林寺庫裡の鬼瓦の記名です。

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文化6年巳三月吉日 平岡村 瓦師源三良(げんざぶろう)

               細工人 幸治良(こうじろう)

平岡村にあった瓦製造元の源三郎さんのところの職人さんの幸治郎さんが作っています。

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平岡村は、現在の京都市右京区梅ケ畑の中にあります。

明治7年に、一之瀬村・中島村・善妙寺村・平岡村が合併して梅ケ畑村になっています。

梅ケ畑村は、昭和6年に京都市に編入されています。

文化6年は、西暦1809年です。

徳林寺庫裡の鬼瓦は、足元だけが残っていて、足元の上の鬼瓦の唐頭(からと)は、新しいものに変わっています。

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鬼面鬼瓦のヘラ書き。

2017/07/10(月)カテゴリ:古い瓦には年月日・名前などの記名があります

京都市宝迎寺様の本堂大棟鬼面鬼瓦のヘラ書きです。

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左側面に寛政十二年(1800)庚申三月吉日と書かれています。また、右側面に作者の住所と名前が書き込まれています。

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阿吽(あうん)の鬼面、(左が南側に据えられている吽の鬼瓦、右が北側に据えられている阿の鬼瓦)。

表と裏の屋根勾配が違うため、鬼瓦も足勾配を変えて作られています。

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鬼面の顔は、鬼瓦胴体の突起にはめ込むように作られていました。

現在復元して作成中です。

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瑞春院の鬼瓦

2014/03/05(水)カテゴリ:古い瓦には年月日・名前などの記名があります

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瑞春院(ずいしゅんいん)は、京都御苑の北に位置する相国寺の塔頭(たっちゅう)です。水上勉の『雁の寺』と水琴窟(すいきんくつ)が有名です。写真は奥側が庫裡、手前側が玄関です。

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庫裡の大棟の鬼瓦は古いものを修理して再度屋根にあげました。鬼面の顔と胴体が切り離されて作られていて、後から銅線で留め付けました。

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鬼瓦の右側面には、『嘉永二年己酉二月吉祥日 瓦師細工人 興吉作』。左側には、『皇都小松原村 御用瓦工 内田平右衛門』と書かれています。

嘉永(かえい)二年は1849年、今から178年前です。この年の4年後に東インド艦隊のペリー提督が4隻の黒船を率いて浦賀沖へ来航しています。

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