315年前に作られた龍の鬼瓦です。
京都府亀岡市 大園寺(だいえんじ)本堂の南東側の隅鬼瓦です。大園寺は、亀山城(現在の亀岡城)の城主であった明智光秀が城下町の形成に際して、穴太道(あなおみち)の要衝となる現在の地に移しました。亀山城主小早川秀秋が文禄四年(1595)に米二石を寄進した五箇寺の一つでもあります。本堂は二度の火災にあい、宝永七年(1710)に再建されています。
右側面に、「寶永(ほうえい)七(1710)庚寅(かのえとら)年 正月下旬」と書かれています。寶永七年は江戸幕府、第六代将軍徳川家宣の時代です。庚寅(かのえとら)は十干十二支(じっかんじゅうにし)の一つで、60年に一度回ってきます。十干十二支は、十干(10種類)と十二支(12種類)の組み合わせでできています。十干(じっかん)は、甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)の10種です。十二支(じゅうにし)は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類の干支(えと)です。昔は右斜め上側に十干Z(じっかん)、左斜め下に十二支(じゅうにし)を書きました。
左側面に、「瓦工(かわらこう)九兵衛(きゅうべえ・くへえ)」 と書かれています。「九兵衛」は花野九兵衛で、現在の京都市右京区下嵯峨高田村で江戸時代に瓦を製造していました。







