京都市宝迎寺様の本堂大棟鬼面鬼瓦のヘラ書きです。
左側面に寛政十二年(1800)庚申三月吉日と書かれています。また、右側面に作者の住所と名前が書き込まれています。
阿吽(あうん)の鬼面、(左が南側に据えられている吽の鬼瓦、右が北側に据えられている阿の鬼瓦)。
表と裏の屋根勾配が違うため、鬼瓦も足勾配を変えて作られています。
鬼面の顔は、鬼瓦胴体の突起にはめ込むように作られていました。
現在復元して作成中です。
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2017/07/10(月)カテゴリ:古い瓦には年月日・名前などの記名があります
京都市宝迎寺様の本堂大棟鬼面鬼瓦のヘラ書きです。
左側面に寛政十二年(1800)庚申三月吉日と書かれています。また、右側面に作者の住所と名前が書き込まれています。
阿吽(あうん)の鬼面、(左が南側に据えられている吽の鬼瓦、右が北側に据えられている阿の鬼瓦)。
表と裏の屋根勾配が違うため、鬼瓦も足勾配を変えて作られています。
鬼面の顔は、鬼瓦胴体の突起にはめ込むように作られていました。
現在復元して作成中です。
2014/03/05(水)カテゴリ:古い瓦には年月日・名前などの記名があります
瑞春院(ずいしゅんいん)は、京都御苑の北に位置する相国寺の塔頭(たっちゅう)です。水上勉の『雁の寺』と水琴窟(すいきんくつ)が有名です。写真は奥側が庫裡、手前側が玄関です。
庫裡の大棟の鬼瓦は古いものを修理して再度屋根にあげました。鬼面の顔と胴体が切り離されて作られていて、後から銅線で留め付けました。
鬼瓦の右側面には、『嘉永二年己酉二月吉祥日 瓦師細工人 興吉作』。左側には、『皇都小松原村 御用瓦工 内田平右衛門』と書かれています。
嘉永(かえい)二年は1849年、今から178年前です。この年の4年後に東インド艦隊のペリー提督が4隻の黒船を率いて浦賀沖へ来航しています。
2014/02/02(日)カテゴリ:古い瓦には年月日・名前などの記名があります
誓願寺は京都の新京極通りのちょうど真ん中にある、浄土宗西山深草派の総本山のお寺です。写真は、鐘楼(しょうろう)の大棟の鬼瓦で、額(ひたい)に太陽(日輪)の飾りをつけています。葺き替えるときに、古い鬼瓦の通りに復元して作りました。
古い鬼瓦の右の側面には、『享保七年壬寅二月吉日』と書かれています。享保(きょうほう・きょうほ)七年は、1722年で今から305年前です。江戸幕府将軍は徳川吉宗で、小石川養生所をこの年に作っています。
小石川養生所といえば、江戸町奉行の大岡越前守忠相(えちぜんのかみただすけ)ですね。徳川吉宗と一緒に享保の改革を主導し、設営した小石川養生所は幕末までの140年間貧民救済施設として機能しました。
左の側面には、『城劦紀伊郡深草住 瓦師角道長兵衛』と作者の名前が書いてありました。江戸時代には、京都の伏見深草(ふしみふかくさ)は山城国紀伊郡にありました。そこに住んで瓦を作っていた瓦師の角道長兵衛さんが自分のサインを残しています。


